チーミングと雇用の理想は、寄生的関係と、全員がフリーランス的である関係とのどちらでもない。
ある、すでにフリーランスとして通じる社会的技能と特殊技能を持っている人物がいるとする。やつが就職を突然考えたとする。この時にこの人の年収よりも企業が安くしか給与を支払わないとして、その差額がそれが機材や場所やブランディングといった付加価値合計みたいにきれいな計算でなりたつと考えるならば、僕たちはまだ理想的なチーミングに行き着いてない。
おそらくフリーランスでもやってける人だけで成り立つ企業があったらそれは、現状の例えば日本の一般的な企業、平均年収が450万〜800万といった企業ではないだろうと思う。まあフリーランスといっても簡単な仕事はあるわけだが。ここでは知識労働者とかだけを想定してみる。
zerobaseの社長さんのブログに、彼は経営をアウトソースしてもらうサービスのようなもので、社員はみな独立してもやってけるべきだ。みたいなことを考えていた。彼とて言化しているところでは、この近未来の理想としての状況を先取りしていると思うのだが、もっと高い理想は、ある種の寄生やある種のなれ合いも含めつつも、なぜかハイレベルの独立した技能の合計以上のもの、であろうと僕は思っている。メタファーとしてはバンドマジック。radioheadもビートルズも、もちろん核となる天才ぬきには成り立たなかっただろうけど、それでも全体が個の総和ではない、という状況を達成している。
企業にはパレートの法則的な法則があるといわれ、2割しかかせげぬ8割の人々と、8割を稼ぎだす2割の人々がいるという。ルーチン(ランタイム)と創造や改善(ビルドタイム)の別なのかどうかは考えた方がいいが、それでも生産性比率としても大きな差があるという主観的印象は誰もがもっていると思う。中には全体の売上を悪化させる個もいる。
その時に、この悪しき「部分」があったとして、この全体の悪い部位は、例えばフリーランスとして仕事をさせたら食っていけない、とは、思う。
全体が個の総和じゃない。というのはドラッカーの最終時期の著作によくでてくる単語で、自分も愛用する概念になる。複雑系の簡単な応用の効く概念ツールになる。自分たちが生きている自然界をみると、論理的に「例えば人間はツールをもっていた。二足歩行が道具を保持する手を因果して、手がツールを因果した。これが他の動物からの生物的優位性を因果した」とかいうふうに単体の因果律を語ることはできる。一方で実際にその生き物が「環境の中で生きていける」かどうかは、環境中に放ってみないとわからない。淘汰を生き残っていること以外に存在を証明する方法はない。
環境をデザインするということはユニークな「手法」になれる。会社という「全体」を自分の所用物と宣言して、その後にその中にある規約を保持する。ここには全体が「フリーランス的に社員全体が契約をしつつ仕事をする」といった形態をとるとする。この規則は一種、市場的な環境を、企業内にも取り込むということで、完全なフリーランス社会の淘汰を生き残れる強さを持つ人間のみを企業に取り込むという意味では、おそらく企業社会よりも優れたアウトプットをもたらす事もできるだろうとは思う。
僕が興味があるのはこの先のことで、優秀な個人がその独立可能性のみを追求しないことでより大きな、あるいは奇跡的なシナジーにいきつく方法。まだはっきりとはわからない。
はっきりいって、【長い間無理やり拘束する】といった、一種結婚とかそういう、古典的とか古いとかいわれるような方式しか今は思いつかない。バンドが減って、宅録が増えてるとか、方向としては理解できないではないが、これは端的に「計算機という汎用的な補助ツール」の影響が全世界を覆ったということだと思うが、その後に、非汎用的人格、ある種の専門性といった汎用性を犠牲にした専門性への身投げをした人格が、再びチームをくんだときの怖さみたいなものが再びおきてもおかしくないと思う。やっぱりradioheadなんかをみてるとそう思う。全員が全員の楽器を弾け、楽典も社会的な意見もあるし、似たところもあるが、それでも稀代の天才ギタリストと、稀代の天才プランナーと、稀代のメロディメーカーでもあるベーシストと、非常に頭のいいドラマーと、天才的なソングライターといった強い専門性がある。嫉妬する!