最近オヤとなかがよくないある人に話したんだけど、オヤが子に施す愛の根拠のなさと、たとえばそれを金額にしてみたときの差ってすごい。オヤが自分のこと嫌いみたいだとかいっていても、たとえば大学とかまでだして、自立するまで部屋も食費も学費も自分の時間も全部つっこんでくれるということを考えると、3000万から1億円といった額を見返りなしに与える。その人の人生で稼げる金の2割とかを無償で渡してあげる。多分子供を持つまでに人間が普通している「自分のために投資する」という無意識の行動と比べて、圧倒的に違う。というかこれは自分がオヤになってしまえば当然のようにやることで、これは一種の愛の数字だと思う。愛はもっととんでもないと思うが、現実的に愛が理解できないならばそういう計算方法もあるなと思う。
この数字を基礎にちょっと変な発展をさせていく。これは愛から離れていくような機械的な社会のでき方だ。このずれにも興味がある。えーと、社会は資本の組み合わせかた、あるいは「アルゴリズム」あるいはプログラミングによって新しいランタイムの発明をなしたひとから順に富を再び得るといった構造に向かいつつあるとする。簡単にいうとグーグルみたいにイノベーションのために全体のコストの5割を避けるような会社がどんどんイノベーションで新しい回路を作り出していき、そうした資本利用率をキープできない固体、組織、主体(その粒度は細胞までいきわたるかもしれない)は淘汰されうる。しかしながらこうした「チェンジ」や「イノベーションの仕組み」の最たるものはまだ企業ではなくて、遺伝子とかになる。まだまったく無名の、とりたてて今金も才能もないようにみえる人が、環境との組み合わせによって、いきなりグーグル(のスタートとなったような検索)のような決定的な回路を作り出すことになる。統計的にいって、イノベーションに投資された額(量)にイノベーションの質量はある程度比例すると僕は考えている。
凡庸な親が凡庸な子にかける金の額が国民総生産の10%だとしたら?ドラッカーが古典的な言い方で、企業が存続し続けるには定率のイノベーションへの投資をとのことだが、たかだか数兆円の金しかもたない企業が、全世界の固体の集合という巨大なイノベーション主体に対抗できるだろうか。
まあ対抗する必要があるのかどうかはわからん。企業主体が自身のために、研究費を取るなんてことが必要か怪しい。彼らは消えていけばいいのではないだろうか。ともときどき思う。ビジョナリーカンパニーは不要に思えてならない。宇宙船地球号というとかなりうんこくさいダサさがあるが、本当にサステイナブルであるべきは最終的には宇宙に依存すると思う。
みたいな? ただしいかわからないので放置ぎみにポスト