I am gathering you

Jun 11
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scansnapで、今出版されてる雑誌を一冊ずつ一度標本にしてテイストとかを観察するようのDBにしようと思って今日はとりあえず5冊かってちょいっとスキャンした。探しているときにスタジオボイスがあって、”本は消えない!インターネット以降の本当に面白い雑誌/本の作り方”という号だったのだが、僕の前で本が紙とデータになってゴミ箱に直行した。不思議な気持ちになった。自然な流れでやったからだ。今となってはここでその表紙やらなにやらをインターネットの人たちが当然やるようにpermalinkになっている画像をのせたりして言及することだってできる。ずっと便利でいいやり方に思うね。まあそこまでやる人は少ないにせよ。
編集のトップたちは、インターネット上でおこっている「面白い情報がじゃんじゃんながれてくるアルゴリズム」にまだ到達していない。そこで流れている情報は当然インターネット色の強い情報だが、一方でもっと編集者たちが好みそうな内容(の滅多にはみれないやつ)がじゃんじゃんある。 とおもったら、内沼君っていう友人が同様のことを書籍中で寄稿してたのを画面上で発見した。いったいなんなんだこの状態はと思いつつ。ただ個人的には本を捨てた人間としてはもっと強い意見を持っている。本は彼らの思っているより早く、劇的に、減る。

僕たちはなんどかアナログのフェティシズムの絶滅を体験している。複製技術時代にてオーラなりフェチなりを持っていたものが本当に消える瞬間をみている。「超」複製技術時代だ。ボイスの編集の友達は僕がこれを浪々を話すのを特に反論はせずになのかできずにちょっといらいらしてる風にきいていた。友達だからいうけど、甘いと思う。なんかいろいろ反論の断片はあったけど全部だいたいつぶれてしまう程度のものだった。編集のレベルが高いからといっていた(ボイスの)がまさかあ。低いとはいわないが。。。。
ipodとitunesの一回で終わると思っていた。 CDには著作権の保護、情報の輸送(伝達)、ものである、という3要素があった。ネットワークとMP3が2番を圧倒的に置き換えようとしていた。特に距離が遠い場合にはこの効果は劇的だった。1も準備まではできていた。そしてそこに3番目を華麗に取り除く、「本を凌駕する普遍的フェチ」としてのipodが衝撃的にデビューしてtipping pointがきた。
僕が家ではscansnapで取り込まれたstudiovoiceをimacの24インチでキラキラの中で読み、外ではキラキラのmacbook airで読む、ということのフェチはかなりのもので、既に本のフェチに近いか超えている。pdfでvoiceが50円だったら間違いなく購読していい気持ちよさだ。悲しいけど本のフェティシズムだってどのくらいかは金額で換算できる。みんな知りたくないだけだ。 あるフェチからそれを超えるものに写りたくない。これは人間の異性に対する感覚とも似ている。理由がいる人は残ればいい。そのままでいたいなら情に流されていればいい。愛と情は違う。
だからアップルか、アップルのネクスト(ネクストのネクスト)な会社なりが本以上のフェチを持つポータルブルリーダーを出したときに時代はかわる。こんなことを「本当にくるとは思ってない」と本気でいう君たちのポッケにもipodがごくごく自然なフェチの交換の結果としてある。ジョブスも僕もそうだが、ほとんどのカルチャーの出版社と同質の本への愛と編集能力を体験したあとでそこを去る。
これは動線自体を変える。これがおこらないならもちろんtippingポイントはこない。全部の女性誌合計100冊が2000円で変えるようになり、かつipodくらいつかっていいかなと思わせる感じならば女性は動くと僕は思う。男性は一層動くでしょう。

iphoneの時点ですでにあぶない。僕はipodに全部の画像をシンクさせているけど、驚くほど美しい。emobileのwindows mobile端末ではみる気がしないがipodならフェチの中にみていられる。恍惚がある。iphone的なb5程度の400グラム以下のPDFがマルチタッチディスプレイでキラキラ読める本、で少なくとも僕にとって本は終わる。出版は用済みとなる。
たったのそのくらいのイノベーションが今からあるだけで、普通にその辺の女子すらが、本を買わなくなる可能性が(すでになんどかおこったこととして)あるのだ。例えば僕がアップルに入ったりしたらそれで実現されたりしかねない。もっとすごいことを手がけてるつもりだからやらないけど、多分僕程度の行動力と想像力がある人間はアップルというかアップルレベルの次世代な若者はいるだろう。
多いに出版について疑問をもっている執筆者に原稿料をはらってその趣旨の文章を書かせつつも本は死なない特集をしている、という点は全然評価できる。 だからもうやめようよ。と思う。本が本当にまるで死ぬかどうかはデリケートな話題だけど、実はとっても情報収集能力とかが問われる話題だが、まあ50年以内に死ぬと宣言はできる。15年以内にかはわからない。といったところ。 むしろ別の形態に移行するかもなと思うのは、ABC/tsutaya/スタバのあの形態で、あれはやっぱりすばらしいと思う。あれを本以外の形態でおきかえることはとても難しいとは思う。結局のところ本が残るとしたらそういうことだ。非情にタンジブルで贅沢なメディア。将来的には「部屋をカフェにする」くらいの贅沢に、本はなるだろう。