I am gathering you

Sep 23
Permalink

明日、六本木に帰る。

実家が六本木に引っ越す。三田から。

父は森ビルの専務だった。1985年に交通事故で障害者になった。自分が5歳のとき。1984年に六本木の、いまけやき坂のぼりきったハイアットの3回部位くらいの位置にすんでた。ヒルズが着工するまですんでいた。

父は重要な人物だったようだ。回顧する人たちの発言からは実力と脳力とか人格とかがでてくる。当時の父の部下の人たちが副社長とかをやっていて、当時役がついていたのは森稔さんと彰さんと先代社長をのぞくと森家以外ではうちの父だけだったそうだ。

森社長は偉大な人格者で、逸話に絶えない。僕たちの家族はそのような重要な人間を失ったのだし、また、彼は強い精神障害を負ったので、そのギャップは人々を相当に周囲の人を傷つけただろうと思う。なにしろ母を。
その中で経済的、精神的にも母や僕たちの家族を支えてくださったのは法人格であるはずの森ビルだった。事故の裁判であるとかも含めて、5歳と7歳の子供を抱えて重病人とを抱えた母にサポートをしてくださったのは企業体としては特異な判断だ。森ビルのサポートがなければ経済的に僕たちはすでに離散していてもおかしくなかった。この話を森ビルが世界の普通のディベロッパーとは全然別の体質の、本質的に良心的でイノベーションのために非常に純粋な至高をもった企業であることにヒントにしてたぶん問題ないと思う。この他にも僕は内部事情をおそらくものすごくたくさん知っているのだけど、ざっくりいって特異点的な企業だなと思う。

それはまあいいや。そんで父が倒れたけどその後4歳から20歳まで六本木で育ったと。どっかでこの話はかいてあるのだが、父は当然ヒルズ計画の中心にもいたっぽいし、母から「お父さんの頭のなかではこの辺もやるつもりだった。あれこれがどうこうでこうなった」とかそういうのよくきく。母は森ビルのヒルズ計画の窓口的な形で森ビルに就職した。職を与えてくださったのは当然森社長の恩情とのことだ。だから僕はヒルズ計画そのものとほぼ同期してそだった。前にもかいたがちょうど僕が母の胎内にでも場所をもった頃にヒルズ計画は森ビルの中に場所をもった。1984年くらいに僕たち家族はヒルズの再開発の計画のために、現場にはいるような形で六本木六丁目にいった。僕が20になったときにヒルズ計画が着工になって21の春頃にぼくらの家も取り壊しになった。ちょうど成人ってタイミングだった。

得意な再開発。住人との交渉がそのほとんどを占めるプロジェクト。更地にボーンとたてるのがイノベーションというのではない。廃墟のようで、消防車が入ることのできない急勾配の細い道がうごめく麻布と六本木を結ぶ地区に価値をつくる仕事。実際に犯罪でもおこってもおかしくないようなちょっと危険な暗闇が一杯ある地区だったと。

それでも自分はヒルズと自分とを結びつけようとはとても思ってなかった。それまでは。六本木をブランドだとも思っていないで育った。そこに、20歳になってヒルズが着工になって自分のすんだ家も取り壊されるってイベントがきて、衝撃的なほどの悲しみに襲われた。たぶんあの喪失の感覚の強さはほとんどの人間には理解できないし、一方で僕固有のものでないと思う。4歳から20歳という時期をすごした95パーセントの足跡と景色が人工的なものによる間抜けな徹底さで消え去るということを体験した人は、あの喪失感に襲われるだろう。だから一種の憎しみもあった。まるで自分との戦いじゃんと思った。

六本木は僕の場所だって思うのは、当然、その喪失感からもきている。六本木を知っている風の人とかにあうと、自分の1/1000もしらないことを強く知らしめたくなる。六本木に住んでたよっていう人をいうとああ、貸してあげてたよっていいたくなる。僕たちの場所をねと。君らのじゃないからねと。ホームの感覚。特に立派な感覚であるとは思えない。

特異な体験だなとは思う。死につよく触れながら育った人間にとっての二回目の大きな喪失感が補強した大きすぎる所有感というか。でかめのストーリーの中で育った人間のもつ奇妙な感覚。

ということで六本木に帰る。昔すんでいたところから100メートルのとこ。今も日常的にいはするんだけどね。不思議な感覚だ。